江古田ギャラリー

                     ギャラリー
東京都について
説明もあまり必要ないとは思いますが、
日本の首都、公共機関・商業・金融などの中心部です。

徳川幕府が江戸を現在の東京に開いてから、
1868年(慶応4)7月江戸を東京と改称
           8月東京府開庁
1889年(明治22年)東京市誕生
1943年(昭和18年)7月東京都制実施


首都機能移転などの話し合いはあった様ですが、
そのまま現在まで、日本の中心部となっています。

東京には「特別区」と呼ばれる23の地域があります。
 (新宿区・中野区・豊島区・杉並区・品川区・港区・世田谷区・足立区など、)

練馬区はその中の1つになります。
東京都の花
ソメイヨシノ
東京都の木
イチョウ
東京都の鳥
ユリカモメ
主な日
10月1日 都民の日(小・中・高学校の大半は祝日となります)
3月10日 東京都平和の日
人口 約1300万人・・・・・詳細12,993,920人(平成21年11月現在)
都庁の場所
新宿区






練馬区について
練馬区は23区の北西部になります。
人が住み始めたのが、約1万5000年前の先土器時代からとされているそうです。
23区内では、現在(2009年)の段階では、
1番最後に出来た区になります。※1947年(昭和22年)8月、板橋区より独立
また、23区では、緑が多い区になります。


高速道路は、新潟まで続く「関越自動車道」と都心郊外を迂回出来る「外環道」があります。
鉄道に関しては、西武新宿線・西武池袋線・地下鉄大江戸線・西武有楽町線などがあり、
都心へのアクセスが、とても便利で、
区民の大事な交通機関になっています。
人口  約70万人・・・詳細706,680人(H21年度12月)
練馬区の花・・ツツジ 練馬区の木・・コブシ
練馬の都市宣言
非核都市宣言 交通安全都市宣言 健康都市宣言 環境都市宣言
練馬区の主な歳時
探湯の儀 御嶽神社 練馬区中村 区無形民俗文化財
鶴の舞、神輿渡御の御供道中歌 氷川神社 練馬区氷川台 区無形民俗文化財
稚児行列 長命寺 練馬区高野台
火渡り神事 御嶽神社 練馬区中村
中里富士の山開き 八坂神社敷地内 練馬区大泉 区有形民俗文化財
七夕星祭り 北町弁天宮 練馬区北町 区無形民俗文化財
奉納剣道試合 氷川神社境内 練馬区石神井台 区無形民俗文化財
酉の市 大鳥神社 豊玉北・石神井町
関のぼろ市 万灯行列 本立寺 練馬区関町北 区無形民俗文化財
区の主なイベント
練馬まつり 照姫まつり
区の名物・・・・・練馬大根 区のレジャー施設(遊園地)・・・・・豊島園






浅間神社について
御祭神 木花佐久夜姫命(このはなさくやひめのみこと)

例祭日9月15日

末社 稲荷神社(宇迦之御魂命)

富士塚 
(昭和54年(1979)5月21日・国の重要有形民俗文化財に指定)

浅間神社の創建は不詳です。
承平元年(931)六月夏山芽原浅間(当時)に雪が降り、
この山がいかにも富士山に似ているので村人が登ってみると、
神体と思われる石を拝したことから「富士の大神」と
崇め奉りたことにはじまるともいわれています。
「新編武蔵風土記稿」の上板橋の頃に
「富士浅間神社・能満寺・西光寺侍」とあります。
また、浅間神社は「芽原浅間神社」という呼称があり、
江戸中期になると富士講の盛んな上板橋・中新井・下練馬の人々にも崇敬され
「江古田の富士」と呼ばれ更に親しまれるようになりました。
江戸後期には富士浅間神社と呼ばれ、能満寺が別当寺でした。

大正4年(1915)武蔵野鉄道(現:西武池袋線)開通で、
江古田駅が設けられた為に清戸道からの参道は中断されました。

本殿は天保10年(1839)の建設ですが、
大震災で損傷しましたが、大正13年(1924)には補修しました。

拝殿は昭和27年(1952)に、神楽殿29年(1954)に新築しました。
境内には練馬区指定の「大樹のケヤキ」(ねりま区の名木)が二本あります。

現在、板橋区東新町に鎮座する「氷川神社」の境外末社として奉斎されています。

なお、練馬区の密集住宅市街地整備事業により平成4年度(1992)からの
主要生活道路の整備に伴い、平成13年(2001)度より
境内地拝殿・神楽殿・社務所の新築、改修および玉垣・参道等の整備を実施しました。

(協力・浅間神社  参考・浅間神社パンフレットより)
浅間神社、参道(入口)です 拝殿
江古田の自慢!富士塚です 国の重要有形民俗文化財に指定
主な年間祭典・祭事
1月1日歳旦祭    1月11日蔵開き      2月3日節分祭    2月初午祭
4月初申祭       5月27日大山不動尊祭       7月1日山開き    9月15例大祭
11月15七五三詣  12月28日  大祓式        12月31日  除夜






赤鳥居と子育て稲荷について
ー江古田新田・千川堤ー

上板橋村江古田は、中新井村と長崎町、野方町の間にとびだしていて、いずれから見ても村はずれであった。
千川上水と清戸道が平行して走り、木下・阿出川・三原・榎本・高崎・田口・天野の七軒余りが、
この付近の草分けであった。
千川のほとりに半農・半商・半工の家が何件かあったといわれている。

ー中略ー

千川堤にあった子育稲荷は移設され、現在でも小さいながら残っている(旭丘1−37)。
以前は、千川の桜並木の間にあったが、赤ん坊の夜泣きに大変ご利益があるというので、信者が多かった。
夜泣きがおさまると、お礼に油揚げをあげたという。

また、この辺りに、土地の人が「赤鳥居、赤鳥居」※1といって商家の信仰が多い穴守稲荷※2がある(旭丘1−20)
これは、かつて竜田稲荷といわれた。

(練馬の伝説  ー祖先の足跡ー より、抜粋   練馬区教育委員会)



※1千川通り沿いにあります。(不動産 メディアオークの隣)
※2穴守稲荷は、浅間神社の例祭日に当地域の御神輿と町会の人の詰め所になります。

赤鳥居 入口 穴守稲荷






千川上水について
当、旭丘東商店会の地域では、「千川上水」という上水が流れていたそうです。
歴史はその昔 将軍徳川綱吉公の時代1696年(元禄9)に

玉川上水より取水、千川上水を開削されたそうです。
        (資料参考  千川上水 ー昭和27年の写真を中心にー 練馬区教育委員会より抜粋) 


<近年>
この地域の住民の生活には欠かせない水路となっておりましたが、
千川上水は、子供にとってはとても流れが速く勢いがあって
                小さな子供が落ちてしまったら、命を落とす事もありました。
当時は当商店会周辺に
市場があったので、馬車で、荷物を運び地域の人々の生活を支えていました。
                  (ラーメン・定食の吉多屋 店主さん幼少・青年期の記憶より)


当時から桜の名所で春になれば、
  下町からもお花見見物の方々が沢山いらっしゃって大変にぎやかでした。

その反面、約3メートル位の幅の千川上水は、台風や大雨時には、
この周辺は川があふれ出て床下浸水もよくありました。
子供達は「きゃっきゃ」と喜んでいましたが、大人は青ざめてました。
                   (骨董器・水石 峰雲洞 店主さん幼少・青年期の記憶より)


<暗渠化>
この地域では昭和26年度から暗渠工事が始まったそうです。

なお、千川上水は、星野整形外科クリニックのある交差点から「カクッ」と
北方向に進むようです。


<現在>
練馬区の立野町辺りなど、ちょこちょこ暗渠化されてないところはある様ですが、
当、旭丘東商店会の周辺をはじめ、
ほぼ全面的に暗渠化され、歩道になっていたりしています。
江古田駅周辺は、歩道の広さが上下方向で違うところがありますが、、
だいたいは広い歩道下が「千川上水」らしいです。
左下に見えるのが、暗渠化が始まった千川上水 暗渠工事終了です のどかな千川上水の風景です
暗渠工事の時の旭丘1−1ー1
左側の壁は赤チンの工場
現在は、セオサイクル炭家長榮
ケイシン商事知味斎があります
東長崎方向から江古田駅方向を
見た千川通りです
こちらは暗渠化されて間もない頃、
左の写真を反対(江古田→東長崎)方向に見た写真です。
赤チン工場は右側にあります。
こちらは、千川上水のありき日の
豊島区南長崎6−34付近
星野整形外科クリニック方向から
西武池袋線の踏切を見た感じです。
(写真・資料参考  千川上水 ー昭和27年の写真を中心にー より  練馬区教育委員会)

昭和25年前後の千川通り
上記の写真は、当商店会内では、
ないのですが、

昭和25年前後の千川通り。
この写真を写してくれた方の
後ろに千川上水が
あったそうです。
現在は、お隣の商店会内にある
セブンイレブンさんや
モスバーガーさんの
建物の所らしいです
こちらは、今は年代不明、早急に
持ち主様に確認してみます。
こちらは、今は年代不明、早急に
持ち主様に確認してみます。
上記写真3枚提供(ご近所の方)






西武池袋線 江古田駅について
江古田駅は大正11年に開業している様です。

鉄道が出来たとき、(武蔵野鉄道時代)は、
東長崎駅と練馬駅の間にはなかったそうです。

駅が出来た理由として、1つわかるのは、大正11年に
武蔵大学(当時七年制高等学校)の創立によって、
枕木を積み重ねた簡単に作ったホームが、
武蔵野稲荷の裏に出来たのが最初でらしいです。

駅は敷地の関係から東へ東へ・・・と、現在の場所へ移動したようです。

駅の名は、その当時の地名「江古田新田」からとった説と、
「エゴの木がある古い田」など、諸説あるようです。

ちなみに江古田町から旭丘に変わったのは、
昭和35年7月の地番整理の実施からだそうです。

こちらの駅は「えこだ駅」と読みます。

なお、平成23年度に江古田駅が新しく生まれ変わります!
(撮影・協力 西武鉄道江古田駅の駅員様)
(参考資料 練馬を往く より一部抜粋   練馬区教育委員会)
旭丘東商店会には、江古田駅南口に出ます 平成23年度、江古田駅が新しく生まれ変わります!






新江古田駅(都営地下鉄大江戸線)について
新江古田駅は1997年(平成9年)12月19日に都営12号線として開業
2000年(平成12年)4月20日に都営12号線から大江戸線の改称された様です。
こちらの「新江古田駅」は「新・エゴタ・駅」と読みます。
ちなみに、開業前の仮名称は「豊玉」だったそうです。
住所は、中野区江原2丁目になっておりますが、
駅構内は、中野区・練馬区の境界線上に所在している為、
ホームでは境界線の表示が見ることができる様です。
お隣の駅は落合南長崎・練馬駅になります。

この地下鉄で、東洋最大の繁華街「新宿」・東京の台所の「築地市場」
もんじゃ焼きで有名な「月島」など、観光にも大変便利な路線です。






旭丘東商店会について
旭丘東商店会は練馬区の一番東にある商店会です。
その歴史は、練馬区商店街診断(昭和58年3月実施)により、
永い歴史のある旭丘商栄会が広範囲で、また会員の多さで統率が難しいという指摘により
各ブロックが独立し、昭和59年4月に創立いたしました。
独立前の「東ブロック時代」は、会員が18店でしたが、
創立時には37店が加入し、発足に至りました。

千川通りは車の多い幹線道路で、駅からは遠く、小売店営業の難しい地区とされておりますが、
役員はもとより会員一同一致団結し、売り出し・共同装飾・イベントにと
商店会発展の為に活動しております。
桜満開!東長崎から見た 旭丘東商店会 2010年版 ニューのぼりです 桜満開!江古田駅方向から見た 旭丘東商店会
2012年10月に
出来上がった
のぼりです
旭丘東商店会のオリジナルのぼり 旭丘東商店会
初ののぼりです。
2010年版 ニューのぼりです 2010年4月〜
2012年10月上旬までの
デザインです。








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